いい男がついてくる
Bくんと知り合ってもう半年になるだろうか。今では最も仲良しの男友だちのひとりだ。キレイなクィーンズイングリッシュを喋る彼は、名門の血をひく端整なジェントルマン。
ハイスペックだったりすると、たいていは鼻持ちならない人になるものであるが、この人は違う。ものすごく「可愛げのある人」なのである。真面目で無邪気で好奇心旺盛。そして大変なロマンチストであった。
「僕なんか子供の頃から、受験勉強しなきゃならなかった。本当は作家になりたかったんだ」と夢を語ってくれたものだ。
私と齢はそう変わらないのであるが、多分に少年っぽさを残している。おまけにあたりがやわらかく口がうまい。女性が喜ぶような甘いことをいっぱい言ってくれるのだ。人口甘味料の甘さというのではなく、腕のある職人が練り上げた和三盆の甘さとでもいおうか。この甘さの技というのは、やはり相当のものだ。
そんな彼が春まだ浅いころ、食中毒で緊急入院した。「Bくんが私にフラれたショックで入院した」と皆に言いふらしたのもあの頃だ。
友人が元気を失くしたさまは見るのはつらい。情の深い私としては、なんとか力づけてやりたいと思う。かくして「お相撲見物にいきましょう」と彼の肩を叩いたのだ。
当日国技館の前の道端に、ひときわ背の高いBくんの姿はあった。両の手の長くてしなやかな指先を、まるで少年のようにきっちりそろえて直立不動で立っている。私などがああいうことをしたら、塀にもたれかかるか、石に腰かけるかするだろうに、ひたすら前をみつめてキッと立っている。
おとぎの国以外に、こんな不変の美をもち品位に溢れる動作をできる男性がいるだろうか。
新緑の香る陽ざしが、紺色ジャケットの肩のあたりや、短く手入れされた襟足のあたりに映えて、清らかな空気がとうとうと流れている。落ち着いていて立派なことに驚かされた。通る人も何人か振り返るほどだ。こういう男性とお付き合いすると、どんな女性でもエレガンスの切れっ端のようなものが必ず身につくに違いない。
国技館はぴかぴかしていて本当に立派だった。鮮やかな旗がひるがえり、太鼓の音が聞こえる門をくぐると、もう胸が高鳴ってくる。
お茶屋さんから運ばれてくる焼き鳥も、肉が大きくて美味しそうな気がするのも、私が興奮しているせいだろうか。Bくんは串にささった焼き鳥を外す。どうやら歯でしごきながら食する女性の姿というのは、彼の美意識に反するらしい。
「僕さ、さっきから不思議に思ってるんだけど」日本酒を飲みながら首をかしげるBくん。
インテリで勉強家の彼は、お相撲見物を前に、予備知識をたっぷり仕入れたらしく、細かなことまで詳しくなっている。
「今、行司の人が、ほら、あの審判のおじさんをチラッと見たでしょ。あれはね、制限時間を確認してるんだよ。ほら、またやった」などといろいろ解説してくれる。
根がまじめな彼は、自分の腑におちないことにひどく苦悩するタチで、そのときもそうだった。
「おかしい、おかしい」としきりにつぶやく。
「なにがおかしいの」私はつくねを口に運びながら尋ねた。国技館の焼き鳥というのは本当においしい。
「最高位の木村庄之助さんはたった一番のみ、式守伊之助さんは二番しか行司をしないんだよ。この人たちの一日はいったいどうなっているんだろう」
本当に不思議そうな顔をしている。頭がいい人というのは、時として本当におもしろいことを考えるものだ。
「たぶん、健康に気をつけていらっしゃるだろうから、朝は早く起きて家のまわりを駆ける。隅田川に向かって発声練習をする。その後は近くの氏神さまに行って、家内安全と相撲協会の発展を祈る」私は今度はねぎまに手を伸ばした。
「でもそのくらいのことだったら、朝のうちに終わってしまうんじゃないかな」
これでは先が思いやられる。
「そしたらその後はね、スムージーを飲む。続けて生玉子を飲む。それからゆっくりとご飯を食べるの。昨日の取り組みの録画をもう一度見て、自分の行司の型に落ち度がないかよく見るわけよ」
「でもそうしても、午前中にすませられると思うけどな」
見かけによらず、なかなかしつこい男らしい、さらに食い下がってくる。
「立行司ぐらいになるとね、お金も地位もあるから、女性の一人や二人は囲ってるかもれないわ。向島の芸者さん。朝、本妻さんの家を出て、ちょっとお妾さんのところに寄る。そこで昼酒をきゅっとひっかけて、お風呂を浴びたら、ほら、そろそろ夕方になってくるでしょう」(全く違っていると思います。ごめんなさい)
「そうかな、それほど体力があるようにはみえないけどなあ」Bくんは何度も言う。
それにしても、Bくんはお相撲がすっかり気に入ったようで、また来たいと言う。
聞くところによると、マス席を確保するのは、今や大変なことだという。今回のチケットは、お相撲関係にお近づきの多い知り合いに調達してもらったもの。が、ここで正直に話すような私ではないことは、人は百もご承知であろう。
「いい、あの四角い囲いの中でお相撲を見るのは大変むずかしいことなのよ。私、夜通し並んでチケットをゲットしたんだからね」私はしたり顔でさんざん恩着せがましく言ってやった。
心持ちの悪い女は、どこまでも悪いようなのである。
ご飯を食べて帰ろうということになった。Bくんが電話をしている間に、私はタクシーをひろおうと、歩道に出て右手を挙げるのであるが、これがなかなか止まってくれない。あきらかに乗車拒否されている。
「聞いてよ、聞いてよ」さっそく私はBくんに窮状を訴えた。
しかし、しみじみとした声でBくんはこう言うではないか。
「男の人であぶない人っていうのは、見かけですぐわかるけど、女の人であぶない人って、見かけはふつうでもいっぱいいるからね」
もしかするとBくんという人は、ちょっぴり意地が悪い人だったのではないかと私など安堵したものだ。心のどこかに夜叉をかっているがゆえに、女の人にずっと恵まれていたんだろうなあと、そんな気がして仕方ない私である。
ただ今募集中の講座 ↓ ↓ ↓
0コメント