歳下のカレ、純真と冒険と凍星

電車の中でのことである。私の横には女性が歳上とおぼしき年の差カップルがいた。

彼氏は凛々しさはあるものの、美青年という言葉がふさわしいナイーブさはそのまま残った光り輝くような容貌をしている。彼女の方はさまざまな経験を経たことにより、花開くように魅力的なことといったらない。


男性が両腕で壁際の女性を庇おうとしているのは、なかなかいい雰囲気だ。と思いきや、なんとこの二人、途中から熱烈なラブシーンを始めるではないか。

女性の髪をいとおしげに撫でる、そして首すじに顔を埋めてキスをしているのだ。その間中、二人はずっと何かをささやき続けている。


その美しさといったらどうだろう。どれほどアンモラルな情景であろうとしてもピュアなものが流れているのだ。機が熟し、愛し合っている二人がぽたりと果実を落とすような瞬間というのは、こちらの口もとに甘い味のものが湧きあがってくるのである。昔の恋を思い出したときのように、頬はくぼむ。やがて両頬のくぼみは微笑みに変わる。


こうしたカップルがいるあたりは深閑として、おじさんは吊り広告に目をやり、おばさんは背筋を伸ばしたまま目を閉じ、中学生たちもお喋りをやめてしまうから不思議だ。私はもちろん聞き耳を立てていましたけどね。


歳下の男のコたちに対し、歳上の女性はこう振舞わなきゃいけない。

「私って一応歳上だし、あなたたちとは別のステージで生きているの。あなたたちがかなわないような、いい男がいっぱいひしめいているところよ。でもね、私って魅力的でしょう。あなたたち頑張って、近寄ってくるのは仕方ないわ。その時は私も考えていいのよ」というアピールを、たえず流し続けなくてはいけないのだ。

プライドを持ち、泰然としているようでありながら、どこかで隙を見せる。

 

よく歳上の女性と若い男性が恋愛すると、女性が「仕掛けた」ように言われる。が、これは大きな間違いで歳の離れた男女の場合、男性の方が積極的にならなければ恋に発展しない。いろんなことをわきまえた女性は「私なんか」と最初は否定する。すると若い男性はものすごい情熱でかきくどく。そして恋愛が始まる。男性の誠実さの有無で、恋のなりゆきが決まるのだ。


私はこう考える。猜疑心と劣等感が強い人間は、絶対に歳下の男性とは付き合えない。歳下の恋人を持てるのは、よほど自信がある女性である。

若い男性の顎の線や首の綺麗さにうっとりする。そうした後で鏡を見て、少しもつらくない女性というのは、かなりの美貌と新鮮さを維持しなくてはならない。しかもかなり賢く使わなくてはならないはずだ。


もしかすると金品をねだられるかもしれない。ねだられないにせよ、どこかへ遊びに行ったり、食事に出かけた際に、女性の方が払わなくてはならないかもしれない。たまにならともかく、いつもだったら、女性は悲しくせつなくなってくる。こういうときも、決してネガティブに考えるのではなく、「私に甘えているのね、かわいい」という思考の持ち主でなくては、うんと歳下の男性と付き合えるものではない。


私のまわりで、歳下の男性が好きという女性は実に多いのである。友人のひとりは「男の人は絶対に若くなきゃ嫌なの」ときっぱりという。五つ六つ下は当たり前、ひとまわり違うと聞いて初めて人々の口の端にのぼるぐらいだ。全く歳下の男性というのは、同い歳の女の子たちには、ほとほと疲れてしまったのだろうか。それとも歳上の女性たちがそれほど魅力的なのだろうか。


とはいっても、結婚までこぎつけるケースはまことに少ないようだ。それも昔のように「私なんか歳上だから」と、女性が泣き泣き身をひくのではない。もはや彼女たちが結婚を希望していない時代なのだ。ひとりでいても、十分快適に暮らせる適応力を彼女たちは持っている。


それならば気を使わなければいけない同い歳、もしくは歳上の男性よりも、歳下の男性の方がずっといいではないか。だいいち、えばったりしてもタカがしれている。なにやら命令したり、亭主カゼをふかせたりするのも可愛い、そうだ。


不思議なことに、女性たちは今までの恋人にしなかったようなことをし始める。朝ごはんをつくったり、シャツにアイロンをかけてあげたりするから驚く。彼女たちに言わせると、なぜかそんなことをしようという気になるそうだ。


「前の彼氏だと、カチンときたことが、今度の若い彼氏だとあんまり腹もたたないの。男らしいから喧嘩にもならないし」

そう、彼女の言う男らしさなどというものは、たいしたものではない。まあ言ってみれば強さと置きかえられるものであろう。結局男性なんか強ければそれでいいのだ。実際に強くなくたって、強いふりをしていればそれだけで女性は満足できるものなのである。


まったく若い男性にとって、これほど都合のいい相手がいるだろうか。かくして彼らは次第につけあがっていく。

「僕はさ、やっぱりちゃんとした結婚をしたいから」などと、平気で口走るのも、若い男性の特徴だ。

そりゃそうかもしれないが、歳上の女性といえども、そうドライに割り切っているわけではないのだ。口では偽悪的なことを言っても、純情加減は今日びの女の子より、ずっと上かもしれない。


古えの名作と言われるものを見ると、歳下の男性は、限りない愛情と純情を歳上の女性にささげることになっている。

「私はあなたとは合わない。あなたにはもって若い人を」と言うのをぐっとひきとめ、「僕を信じてついてきてほしい」などと言い、パーッと突っ走るのは若い男性のすることであろう。

そもそも若いというのは、ただそれだけで傲慢なものだ。ゆえにいろいろ大胆なこともできるわけである。だからこそ、彼のセリフ「史上一番めの全力疾走の恋だった」が生まれてくるのであろう。


それなのに今は、女性の方が「私のことは気にしないで」と言おうものなら、「そうだね、そのとおりだね」とすぐに調子にのる。

拒否がある。が、その裏にある愛情を読みとる。そして先まわりして、さらに熱い言葉で相手を屈伏させる。これが恋の醍醐味というものではなかろうか。


相手が歳上の女性だったら、とにかく愛して愛し抜く。結婚する意志があろうと、なかろうと、あなたなしでは死んでしまうぐらいの気概をみせる。

そうして女性にロマンをあたえ、自分も恋のレッスンをする。やがて時期がきたら「思い出をありがとう」と言って、きれいさっぱり手を切る。以後は決してつきまとわない。

自分の恋の話を他人に話したりするのはもってのほか。デキる女性はそこらの女性より、はるかに社会的に持っているものが多いのだから。このくらいわきまえがなかったら、ヘタに歳上の女性とかかわらない方がいい。


さて、なんといっても冬は路チューの季節だ。夏よりも冬の路チューの方が断然ロマンティック。

しかし私のまわりの男性はこう言ってこばす「ネットとかがうるさいから、この頃路チューはしないように心がけているんだ」

私は怒鳴った「情けない。路チューもできなくて何が恋なの、愛なの」


密室でそういうことをするのは当たり前。街角で、危険もかえりみず、いとおしいと思った女性の肩を抱き寄せる。これこそ本当の男ではなかろうか。“衝動”という、恋にいちばん大切なもの。それを導いてくれるのが唇である。男の人が他人以上の存在になるとき、すべてのことは、唇から始まるのだから。




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