はじめまして、の美女空間

用事があって故郷に行ったついでに実家に立ち寄った。

子ども時代の絵や作文を母がまとめて納戸に保存してくれていたのだ。まるで心の奥の箱を開けたように、次々といろんな思い出が飛び出てくるのである。が、問題は通知表だ。私の記憶だと中の上ぐらいだったはずだがとんでもない話で、体育、美術、音楽以外はほとんどが3で中には2もある。


そんなことより何よりショックなことがあった。子ども時代の写真がいっぱい出てきたのだが、どれも顔に思春期独特のむっちりとした脂肪でおおわれて、カメラを睨むように見ている。そのころ私の目はひと重で、重たい脂肪によってとても怖い三白眼だ。

「見て、見て、こんな凄い顔をしていたんだ」と友人に写真を見せびらかして、相手をギョッとさせるのはそう嫌いではないから困る。


こんな凡人でどうということもない身の上だから、“際立った人”に対する憧憬は人一倍あるという私だ。

「キレイな人を目の前に見てみたいな。どうせなら、美の頂上オートクチュールのモデルさんがいいなあ」

妄想がやがて現実に変わっていく。本当にぼんやりとした女の子だったが、思春期の門をくぐるやいやな、遠く離れた異国の地へ渡ったのである。


初めて見たとき、こんなに美しいものがあるのかと体が震えた。単なる美人とか、キレイな人というのはいっぱいいるだろうけれども、ここにいる人たちは「絶世の」、「歴史に残る」という表現がつく。美のトップ・オブ・トップと呼ばれる女性というのは遠くから見ても体型が違う、姿勢が違う、何より発せられる体温が違うのである。


その中にあってひときわ目立つ美女がいた。この生命体は何ていったらいいのだろう。細いステージの中で、幻想ともリアリティともつかない形で現れてくるのである。歩く姿は軽く見積もっても十二頭身はあり、それこそ地上に舞い降りた最後の天使のようであった。またたく間にトップモデルへかけあがった彼女は、皆が言うとおり「ファッション界の宝」であろう。それがTちゃんであった。


私が密かにライバルと目しているTちゃん(人に殴られるよ)とは、よく一緒の仕事をした。会えば会うほど性格がいいのがわかるわ。美人というのは、まわりの人に幸福を振りまいていくのである。同い年ということもあってすぐに仲良くなった。


Tちゃんによって、今まで私にとって全く謎であった美女の人生が見えてきたのである。

考えてみれば、Tちゃんは学校に楽しい思い出はほとんどないという。髪型や服装をからかわれたりしたのだ。意地悪をしたのは女の子たちばかりであったから、おそらくその頃から学校中の評判になっていたその容姿が気にくわなかったに違いない。

ところがどうだろう、ここの仲間はみんな美しかった。ため息が出るような透きとおる肌と深い瞳、見惚れるぐらいまっすぐに伸びた手脚をもっている。


男性に好感をもたれ、女性から共感をもたれる人は、それゆえに平凡だ。好いてくれる人と嫌っている人の数が同じぐらいでほぼ同じエネルギーでひき合う。これこそがスターの条件である。Tちゃんにはすべての人が手を挙げて讃えなかった。なぜなら彼女は、人の胸の中にあまりにも強烈なイメージを残すのだ。


神さまに選ばれた、耽美なものを表現するために生を受けた人たちが、この世にはわずかに、しかし確かに存在している。誰の目にも明らかにわかる才能を幼いころから持っていた女の子は、運や野心など持たなくても、世に出るべくして出てきたのだ。それが証拠には、高い達眼をもつスカウトマンが世界中から、特別の生命力、感度、気品を吟味して選び抜いた少女だった。

そうなんだ。我々が天性の美女に望んでいたもの、課していたものはもっとドラマティックなものだ。やはりシンプルでおとなしい生き方などTちゃんはできるはずはない。


ものすごい禁欲的な生活を何年も続けるのが、モデルという仕事である。ティーンの頃から太らないように、甘いものもほとんど口にしない。

それにこれは重要なことであるが、プロのモデルの体というのは、かなり過酷に鍛えられている。初めて見たときはびっくりしてしまった。首は長くとても優雅であるというものの、胸のあたりからガリガリに痩せていてそこに筋肉がついている。あの世界的ブランドの贅沢な服飾を美しくまとうために、かなり肉体が改造されているのだ。


モデルとして華やかな名声を得ている人はほんのひと握りである。モードへの深い情熱がなければ、とても続けられる仕事ではないのだ。が、みんながみんな恵まれたスタートを切るわけではない。そのハンディを乗り越えようと頑張る女性がいる。私もそのひとりだ。


当たり前のことをしていたら、この世界の住人になれるはずはないとわかっていた。そういう人はすぐにはじかれる。そして“何者”かになろうと、小さな努力をひとつひとつ積み重ねていく作業がそんなに嫌いじゃなかった。私は世の中そう思いどおりのおいしいものではないけれども、決して投げ出してはいけないということをここの人から教えられていたと思う。若い頃倒れるぐらい頑張れる仕事とめぐりあえるとはなんて幸せだったんだろうか。


私が美しい人たちを深く深く敬愛する気持ちはたぶん他の女性とは違うと思う。自分はこういう方々によってご飯を食べられ、人生を大きく変えてもらったのだという気持ちを忘れたことはない。


私は知りたくてたまらない。赤ん坊が手に触れたものすべてをしげしげと確かめるように、会う人ごとに、直接言葉を交わしてみたいという願望をおさえることができないのだ。講師の一人として、私は劇的な人、普通じゃない人と話をしてみたい。本当に。



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