賢女のお宅訪問

ここに何度も書いてきたことであるが、お稽古ごとで仲良くなったMちゃんは、お嬢さま生まれの日本趣味育ち。子どもの時から日本舞踊やお三味線を習い、芸大の邦楽科で精進を重ね、その道を極めている。芸術的感性が研ぎ澄まされた女性は、やっぱり美人だ。もちろん自分で着物をちゃんと着られ、ごく自然に正座ができる。Mちゃんが見事な振袖をまとい、お母さまに連れられて挨拶をしているのを見たことがある。それはそれは美しく、まるで人形ケースから抜け出してきたみたいだった。


「この子の父親は、夜遅く帰ってくると居間から三味線の音がする、まるでお茶屋へ行ったみたいだと喜んでいるんですよ」

そのことを教えてくれたのはMちゃんのお祖母さまである。

彼女は清浄な雰囲気をもった若々しい美貌で知られている。とても忙しい女性であるが、インテリアに女性らしい心くばりを忘れない。端午の節句にはショウブの花と兜、そして重陽の節句には菊の花、といったように何かしら飾っている。


こういう人を見て、ああいいなあと思い、自分のずぼらさが恥ずかしくなる。日常生活における美意識を持ち、せめてエレガンスの切れっ端のようなものを身につけたいと感じる。こういうことを教養だとか感性というものではなかろうか。


こうしているうちに、私はどうしてもMちゃんのうちに遊びに行きたくなった。なんでも都心のど真ん中に住んでいるそうだが、いったいどんな風になっているんだろう。お祖母さまからお母さま、そしてMちゃんへ伝わってきた着物もぜひ見てみたい。

「そうおっしゃっても、うちなんか狭いからとてもとても…」お母さまとMちゃんに何度も拒否されたのであるが、お雛さまを見せてもらうという名目のもとにかなり強引に訪問させていただくことにした。


繁華街のメインストリートにビルがあり、Mちゃんはその最上階に住んでいた。エレベーターであがり、扉を開けて階段をあがると、粋な格子の玄関がある。応接間、日本間と続く部屋は、とてもビルの中とは思えない静けさだ。家の中には江戸時代の簪や壺がさりげなく飾ってある。

「本当にセンスがあって素敵な家というのは、絶対マスコミに出てこない」と業界の人が言っていたな、と思い出すのはこんな時だ。


うかがったとき、お祖母さまは十畳ぐらいの紙に、墨絵を書いているところだった。じつに唯美な方である。銀髪と藍の着物が素晴らしくマッチしていて、柔肌はピカピカ。たおやかで凛としていて品があり、日本人が理想とする「よわいを重ねた女性」の姿であろう。


着物の趣味も素晴らしく、高価だけれども、普段着にしかならない通の着物「薩摩絣」をお召しであった。この方とお話しする最中は、墨のかおりが静かにあたりを漂い、本当にうっとりするような時間であった。


そしていよいよ大広間で、正真正銘、日本の超正統派お雛さまの飾りものを見せていただく。アンティークであるというそれは、豪華な衣装をまとい、品のいいお顔をしていた。そしてお道具がすごい。貝桶の中には、小さな貝合わせがあるし、絵草子も一ページ一ページちゃんと描いてある。もちろん傍には桃の花が飾られていた。


なんでも女のコだけのお祭り、ひな祭りのときは、白酒をいただくセレモニーを開くそうだ。男のコたちは途中から呼ぶ。なぜなら男のコにとってひな祭りというのは、未だに女のコの神秘性を多分に秘めているものなのだから。ひな人形というのは、不思議な魔力を秘めているものなのだ。


しずしずとお茶を持ってきたMちゃんは、お稽古のときとはまた違う愛らしさ。心をとかすような赤の帯を締めている。私の視線に気づいたのか、説明を始めた。

「これは戦後、宮さまのところから出た小袿を帯に直したものなのよ」声も若々しいお祖母さま。

「わあーっ、ステキ!」と私はこの静謐な空気からほど遠いはしたない大声をあげるのであった。


こうなってくると美的なものに目のない私は、いろいろな衣装を見せてもらいたくなってくる。そして次々と広げられた振袖の素晴らしいことといったらない。刺繍は細かく見事なものだし、絞りはこれ以上できないほど巧緻になっている。

「呉服屋が、もういくらお金を積んでもこんな仕事はできませんよ、って舌をまいて帰っていきます」と手にとった大振袖のすごいことといったら、もう美術品の領域だ。


着物の不思議さは、古典がとてもモダンだったり、昔からの浅黄、蘇芳といった色がとても新鮮であることにある。なんともいえない色の妙というのは、背骨の方からしみてきて、体全体を小さく震わせるみたいだ。


そして、きっぱりとした東京弁で指南役をしてくれるお祖母さまの手が小さくて綺麗なことにも驚いた。筋ばっておらず、つるんとしていたのである。「手はその人の生活をあらわす」という箴言があるが、おそらく彼女の頭の中には「手を抜く」とか「ゆえあってオバさんっぽくする」などという言葉はないのであろう。


美人といると、いつも真実をつかむ私。そうか、美しさは家の中でつくられるものなのね。お祖母さまの“風雅な生活”は、私の垂涎の的となった。鍛え抜かれたセンスと美意識、そして教養があるからこその、この素晴らしさなのであるが、軽薄な私は、すぐ真似しようとする。お祖母さまのようにいくわけはないが、せめて季節のお花を設えようと思いたったのだ。さっそくお花の先生を紹介してもらった。


威儀を正す、習わしなどといった日本のお稽古ごとのスクエアなところが私は大好きである。などとエラそうなことをいいながら、お祖母さまが席をはずした後は、ただちにお茶菓子を頬ばった。Mちゃんとぺちゃくちゃお喋りする。ずうっと口を動かしていた。




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