美しい生活の掟

なかなか日が落ちない夏の夕暮れ、Aちゃんのお母さまから連絡があった。

「日本酒をいただきながら、我が家で一緒にディナーをしましょう」

日本酒を深く知るというのは非常に知的なゲームである。産地や蔵元、そして味をひとつひとつ味わいながら自分なりに判断をくだす。それはちょっと香水を決めるのに似ているようである。

そんなことより何より、夏の宵にきりっと冷やした日本酒のおいしさ、ちょっと霜のついたグラスの器に酌まれた美しい日本酒を、口にふくむと耳や鼻からふわりとしたものにつつまれる。これは夏の醍醐味というものではなかろうか。


私はお座敷に入る前に、屈伸運動をしてお手伝いさんに呆れられた。だが仕方ない、だって私の正座は普通の人の正座じゃない。普通の人よりも、ずっとずっと重たい負担が膝にかかるのだ。脚が途中で悲鳴をあげることになる。


そこには既に素晴らしいジャパネスクテーブルが用意されていた。油照りの空気を一瞬にして、神秘なものへと変える二藍のテーブルクロス。信楽の大きな壺に投げ入れられた野の花々、江戸時代の簪がさりげなく飾ってある。特に真ん中の蓋物の素敵さといったら、古いものだろうが、鮮やかな光琳模様がとてもモダンだ。


私はテーブルクロスぐらい、便利な食卓の脇役はないと思っている。買ってきたフライドチキンとパンだけでも、素敵なディナーになるのだ。ただし私は、お母さまのような優雅な女性ではないので、ついセコくなるのは仕方ない。友人がちょっとワインでもこぼそうものなら、「あー、大変、大変、すぐにふいてぇー」とわめき出し、皆に嫌な顔をされる。

しかしとっておきのテーブルクロスというのは、ブラウスみたいなものだ。ちょっとでも汚されないかと、たえず目を光らせている。あ、いけない、話がそれてしまった。


今回のテーブルセッティングは、お酒を飲むメニューなので小皿が中心だそうだ。お母さまはその美しさで皆を魅了したばかりではなく、料理にもすごい才能を発揮したのである。古伊万里の器に盛りつけられた料理の繊細さなんか、プロより上だったかもしれない。よく見ると正式のお膳のようでいて、お重箱にお花を生けたりとお母さま独得のアレンジがある。後でお重箱を見せていただいたが、これも美術館に行きそうなすごいものであった。

「こういうものは、実家の蔵から持ってきたのよ」


女性も三十過ぎると、今までぴんと張りつめていた腕の裏側の脂肪がぐずぐずとやわらかくなるように、心のあちこちがひどく素直になっていくのがわかる。それが他人からどう隠すかで、また身構えるところがあるにはあるのだが、せめて好きな人の前だけは、そんなことだけをよそうと私は心に決めている。


「お母さまのような方はいいけれど、普通のおうちに生まれた、普通のお嬢さんはどうしたらよろしいですか」

「やっぱり勉強なさることでしょうね。器の歴史から、江戸時代、明治のお膳の整え方。基本を知った上で、若い方は若い方なりに、いろいろ工夫してみても面白いでしょうね」

私の家も時々和風のディナーをするが、手間を省くのと豪華さを出すため、大皿にわっと料理をもって並べる「あれっていいんでしょうか」

お母さまは上品な眉をかすかにゆがめた。

「大皿に用意なさるのはいいけど、ひとつひとつ出したほうがよろしいわ。そういう時はワゴンを使って、順番にお出しする方法があるわ。その方がご馳走らしくみえるでしょう」


しずしずとお酒を持ってきたAちゃんは、普段一緒にいるときとはまた違う愛らしさ。近世のお姫さまのような赤の帯を締めている。幼い頃は、おそらくお母さまの“着せ替え人形”だったろうAちゃんだが、この頃は自分の意志で着物を着たいと思っているそうだ。

まったくAちゃんのようなお嬢さんに育てるには大変な労力と時間がいることだろう。お母さまから脈々と流れる血が、うまく結晶するとは限らない。細心の注意をはらってこそ、皆がうっとりするような女の子ができるのだ。


私が驚き、心を奪わられたのは、お母さまという女性が本物中の本物だったからである。まず、粋な帳場箪笥の上に置かれたフレームの中の写真からして凄い。お祖父さまに抱かれている幼少の頃が写っているが、まさに華族のお嬢さまそのものなのである。もう我々の生活から姿を消していた、貴族がそこにはいた。


お母さまは歴史に載るような家に生まれ、豪壮な家に住んだ。お稽古ごとをやりたいと言えば一流の先生がつく。これで平凡なお嬢さまになったりすると話はつまらないのであるが、時々名家というのはとんでもないお嬢さまを生む。エリザベス・サンダースホームの沢田未喜しかり、安田財閥のオノ・ヨーコしかり、冒険できるということは、実はふりほどきたいバックグランドがそれほど大きいということである。いろいろなものに挑戦する教養を、子供の時から積み重ねているということでもある。

お母さまはこのままお嬢さま学校に進むのがイヤで、十五歳でヨーロッパへ渡る。当時いちばんカッコよくて、不良をしていたお嬢さまだったのだ。


目の前にあるものはこよなく美しい。そのことに疑いの余地はない。めったにこんな素敵な光景は見られるものではなく、私は胸がいっぱいになってきたのである。しかし哀しいことに、私はここにあるものをちゃんと理解できない。骨董のことなどわからないし、そうした美しいものを探すことができない。どこに行けばあるのかもわかるまい。


ところがお母さまという女性は、その案内を見事にしてくれたのである。レクチャーしてくれるお母さまの動きの美しいこと。すべてに無駄がなく、指一本一本に神経がゆきとどいているという感じだ。庭を見る姿勢もピシッとさまになっている。


長い襦袢を着けてさらっと麻の着物をまとい、髪もきちんと結い上げている。ネイビーの涼し気なアイメイクと官能的な余韻を残すバーガンディのリップ。秘めた色気と洗練感をあやなす巧みさといったらどうだろう。こんなに美しい人とこんな夜を過ごせて本当によかったという、痺れるような快感がくる。私はお母さまの底力をつくづくと感じたのだ。


奥深いセレモニーは3時間に及んだ。心配だった正座は前のめりになり、体を浮かしたりして私はなんとかのり切った。が、立ち上がるときは大変。

「恵美子さん、大丈夫」とお母さまとAちゃんが二人がかりでひっぱってくれる恥ずかしさ。

そして私の膝から下は、次の日も静脈が浮いていた。本当に可哀想だったのね。あなたのためにもダイエットするからねと、私は誓ったのである。



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