大望をいだいた

新しい年が始まり、自分の性格をしみじみと見直す日々である。

年々、勝気になっていくなと感じたり、その反面、よくぞこれほど穏やかな人間に成長したものだとひとり頷くこともある。


そしてやっと気づいたのであるが、私というのは実に想像力が強い人間だ。それが証拠には、私ぐらい睡眠時間の長い人は、まわりにちょっといない。朝、目が覚めても瞳を閉じて空想の世界へ入る、、、。


パリ、ニューヨークを気軽に往復し、社交生活を楽しんでいる。住んでいるのは大邸宅だ。

「どうせやるんだったらこのくらいでなきゃあね」私はベットの上でつぶやき、そして別の考えにとらわれてしばらくぼんやりしてしまう。

「そうよ、なにも相手を日本人と決めてしまうこともないんだわ」

夢ははてしなくひろがるから困る。


ある日突然、クウェートの豪邸の奥深く嫁ぐというのもおもしろいだろうなあ。何年かして、日本人観光客が黒いヴェールをまとった私を見つけるのだ。

「あの人はいま⁉ アラブの大富豪の夫人として、大家族につくす恵美子さん」


結婚した直後はいろいろと大変だろうが、フランスの元貴族の奥さんというのもいい。私は巧みな会話と、夫が毎週つくってくれるオートクチュールのドレスで、たちまち第二のデヴィ夫人といわれるようになる。


いけない。こういう想像というのは、人間の精神年齢を落としていくようだ。とてもまともな大人の女性が考えることとは思えない。しかし、大望をいだくことイコール巨大な可能性と結論することは私の自由であろう。


私の想像力はさらにたくましくなる。朝食のお菜の煮物は極彩色を帯び、中庭の冬の枯れ木に花が今を盛りと咲きこばれる。なんと私の目の前には、その情景がはっきりと広がってくるではないか。平凡でほこりくさい私の日常に、信じられないほどの美しい時間が、光のように差し込むのだ。よって、私の胸の中のガールがときめく。


まだ見ぬ豪邸や牧場、そしてタキシード姿の青い透き通るような瞳の彼などが私を手招きしているような気がするのである。この年齢になっても、こういうことを本気で考えられる私というのは、なんとよい性格であろうか。昔だったらさぞかしモテたに違いない。


どこの誰だというと問題があるからあえて言わないが、明治や大正のころの有名人の写真を見ると、へえーっと驚くことが多い。何人もの男性を転々とし、思いっきり奔放に生きた女性のほとんどは、平凡というより地味な顔立ちをしているのだ。大恋愛の末に心中という例を見ても、どちらもサエない感じだ。


私が思うに、あの時代、恋愛ができる感性を持った男性や女性というのは、十二分に魅力的で、それだけで人の目をひいたのではないだろうか。明治の世、いまの私の積極性と明るさがあったら、もう身が持たないような気がするの。

漱石と不倫をし、藤村をボーイフレンドにしてからかってやろうなどと、私はまたつまらないことを考える。現代は老いも若きもくっつき、離れ、そしてすぐに恋におちる。だから私が目立たなくなってしまったのではなかろうか。


そんな折、友人から電話がかかってきた。

「恵美子さん、素敵な出逢いがあったっていう噂だわよ」

「えっ、どこのどなたと。本人の私も知らないけど」

「いや、そんなこと言う自体、怪しいとにらんでるけどね」

すっかり嬉しくなった私は、さらに疑惑を深めようと、自分自身で小さなリングを買った。ついつい左手の薬指にはめてしまう自分が今さらながら怖い。

もうじき新年会がある。その時にこのリングをさりげなくしていこーっと、などといろいろ楽しみにしていたのだが、母にとりあげられてしまった。


あれやこれや自分の中で遊んでいる間にも仕事はたまる。みんなは怒る。私はますます落ち込む。空想に現実がついていかない私。これが悲劇でなく何であろうか。


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