私が見た美しい人

すっかり秋の気配である。雲が薄くなり、空気に含まれる薄荷分はますます強くなったようだ。そんな折、仲のいい友人から連絡があった。

「予約が取れない和食店、やっとのことで二席取れたから一緒に行かない」


私は大喜びでOKした。こうなったら張り切ってしまう。ビューティーサロンの門をたたいたのである。私はこと遊びのことになると、それだけを思いつめるクセがある。なんと時間を間違えて三十分早く来てしまった。

しかし、受付の女性が声をかけてくれる「よかったら、奥の部屋でコーヒーでもどうぞ」


有り難くちょうだいしていたら、ラフな格好の美少年が顔を出した。ニコッと微笑みかける。すっかり気が動転してしまった私。そりゃそうだ。あのスター、N君が目の前にいるのよ。久しぶりにジャニーズの方をみた。う、う、うつくしい。空気が甘やかな色調に変わるのがすぐにわかった。まるごと生命体として彼は、女子のハートと強く結びついている。


なんでもファンを裏切らないために、二週間に一度は必ずこのサロンに来ているそうだ。そう、「スーパーアイドル」の彼は、皆のために美しくあらねばならない。


「N君、とってもすてきね」

「恵美子さん、彼はH君ですよ」横からスタッフの人が教えてくれた。

一瞬、青ざめる私。こんな有名人に対してなんて失礼なことを言っちゃったんだろう。


けれども後で若い友人にさんざん言われた「恵美子さん、ジャニーズメンバーの区別がつかなくなったら完全におばさんですよ」

「コンサートのチケット取るので、一緒に行きましょうよ」

「やだー、そんなの恥ずかしい」などというものの、根っからのミーハー精神の持ち主である私。やはりその時代の超人気者のコンサートというのは、心が揺り動かされる。“生”国宝級イケメンという、目から入る快感を味わいたいではないか。


さて、お手入れをしてもらった後、友人と待ち合わせた和食店へと向かった。

この友人というのは、昔から美男子なことで有名であった。幼少期の写真を見ると、それこそ光り輝くばかりである。中年の入り口に立った今では、美貌に渋みが加わりそれはそれはいい感じになっている。しかも独身だ。私と結婚できる日をずっと待っている(ウソ)。


レストランやバーに二人で入ると、たいていの女の人は私の方など見ない。彼の方に視線を走らせるのだ。当然のことながら、誰の目にも明らかにわかる美妙さを持っていた彼は若いときからモテまくっていたそうである。


一時期私に「女性はもう嫌になった」と打ち明けたことがある。彼が二十代にして初めてひとり暮らしをしたときのことだ。部屋に誘うと、どんな女性でも従いてくるというのである。女子大生だろうと人妻だろうと決して帰らない。

「女性ってあんなものだろうか…」としみじみ漏らしたほどのモテ方であった。


誇り高い彼の母親は、サラリーマンの妻であることを一生恥じて屈辱に思っていた。そしてひたすらに息子を溺愛する。極端にマザコンの男性というのは、時としてすぐれた芸術家となるものだ。

子どもころは腺病質の、ピリピリするような感性の持ち主であったろう。お母さまは途中でしんどくなっても不思議ではない。が、そのまま繊細な大人になるかというと、それも違うからまた不思議である。脆さをねじ伏せる努力という才能を開花させたのだ。彼に近寄ると、情熱と冷徹さのせめぎ合う香りがかすかにする。


彼が言うには、子供の頃モテなかったり、手ひどいフラれ方をした女性は、大人になっても男性との態度にはっきりと現れる。彼は五分喋っただけで、その女性の過去がだいたいわかるのだそうだ。言っていることはありきたりのことなのであるが、俳優顔負けの風貌を持つ彼が喋ると、非常に説得力があるのだ。


「僕ってさ、モテ過ぎたのがトラウマだったかもしれないな」と平然と言う。

たいていの女性が、望みさえすれば手に入ったために、かえってとても空しくなってしまったのだそうだ。

私は頷く「わかるわ。私ってさ、ほら、あなたほどではないけど、わりとモテてきたからさ(と思いたい)。でもね、煩わしいことがいろいろあった(なかったけど)」とここで見栄を張るのを忘れない。が、彼は聞かないふりをしていた。


グラスを片手に、私はうっとりと彼の横顔を見つめる。これなら、どんな女性でも夢中になるだろう。彼のすべては、複雑であやうい美しさに満ちている。目の前の男性は美しい。そのことに疑いの余地はない。健全なふつうの人のそれではない何かが、彼の美しさを作っているのだ。


何かあるとすぐにパッと反応して、花火を上げて、花を開かせる反射神経で表現すると、明るくてわかりやすいと思う。しかし、彼の場合は、開花時期を見計らいながらずっと土壌に入れたまま、人には見せずに隠しておく、ねっとりとした暗さが常につきまとう。アートという魔界の住人の孤独を体現している。彼はやはり天才であった。

孤独になることの犠牲を払ってきたからこそ、創作に必要な“毒”が出る。だからこそ力を持つ類の作品が生まれてくるのだ。 


上物の芸術家なのに、何と気取りもてらいもない人だろうと驚いたことがある。

「僕みたいな仕事は、頭の切れる人はできそうにないことだ」と彼は言う。

その理由として長時間密室での果てしなく続く作業に、耐えられるかどうかということがあると言っている。芸術家がそういう作業を長時間続けられるのは、お金のこと以上にやはり創れる「才能」が先に立つからではないだろうか。


彼は最近聞いた音楽で総毛立ったとか、この間見た自然の造形美が、今後の方向を決定的なものにしたとお酒に酔うといつも告白する。さすが名をなす人はどこか違うと、私は感心してしまう。彼と一緒にいるとドキリとするものが胸に去来する。この心の収縮の感じが実にいいのだ。私はこれによって新しい講座のヒントをみつけたのである。やはり友人は必要である。


必要であるといえば、秋は友情を確かめる季節といってもよい。全国の友人、知人が各地の名産を届けてくれる。

甘いイケメン二人が異常発酵して、今夜は眠れそうにないわ。私はお芋とカボチャを天ぷらにすることを思いつく。化粧を落として天ぷらを揚げる。もったいないので食べることにした。秋の夜は長いから、カロリーは消費されるはずだ、とつまらぬ期待をかける。



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