おしゃれの上流社会

その日は寒さもだいぶ緩み、陽ざしは春のものだ。こういうとき、私は突然ガーリッシュになる。レースのものやピンクを着たくてたまらなくなる。これはもう誰にも止められない。鏡に映った自分の姿を見てもやめられない。似合うか似合わないかよりも、この場合、私の心が「レース。ピンク」と激しく叫んでいるのだ。


ミコちゃんとご飯を食べる前にちょっと時間があった。ミコちゃんというのは、仲よしの友だちでスタイリストである。銀座も近いことだし、ということで二人でショッピングに出かけることにしたのだ。

「今年はシャネルがよかったよ」とミコちゃん。

もちろんおしゃれ上級者の彼女たちは、シャネルを他のテイストのものとすごくうまく組み合わせるのであるが、それがとにかくセンスいいの、カッコいいの。


もちろんお洋服を買うことはできないが、かわいい小物があったらちょっと見てみたい。いつもは入りづらいハイブランドであるが、おしゃれ番長と一緒なら怖くないわ。

そんなわけで二人でお店に入ると、ちょうど春物がどっさり入荷していた。トレンドのビッグカラーのブラウスや、花柄のワンピースが並んでいる。


「いらっしゃいませ。何をお探しですか」すごく丁寧は対応で、店員さんがぴったり横についてきた。

「ちょっと見てるだけ」と言えないのが私の気の弱さ、見栄っ張りのとこ。

「春物のトップスを探しているんです」とつい言ってしまった。


そういうわけでいろいろ出してくれたのだが、値段を見てびっくり。

苦しまぎれに「もっと薄い、ピンク色のカーディガンが欲しい」と具体的に言ってみた。

これだったら「ちょっと違うかも。ごめんなさい」と帰れるかも。

ところが、ぴったりのピンク色のカーディガンがあったんですね。本当に素敵。シャネルマークのボタンもさりげなくていい感じ。値札をそっと見る。三十七万円。ヒェーッ。


エルメスとシャネルは古くなっても捨てるべきではないとミコちゃんは言う。何年か置くとヴィンテージとしていい味を出してくれるそうだ。


皆さんもお気づきのように、シャネルのスーツは質感をあらわすのが極めて難しい。均等のとれた伸びやかな体であることは重要だか、美しい姿勢、エレガントな腕の振り、軽快な歩き方、すべてが加味される。

そのとき、私の心の中に不思議な気分が。それはゆるむ自分に渇!をいれるために、シャネルのスーツは必需品なのでは、といった気分ではなかろうか。


さっそく私はスーツのリサーチをはじめる。まるで私を誘うようなスーツを見てしまった。マネキンが着てショーウインドウに飾られていた。それは貴石とスパンコールがいっぱいついている、ものすごく手が込んでいる美しいスーツであった。これに高いヒールの靴を履いて、ピンクのリップで女優っぽい気分になれるかも。


ビシッと隙ひとつないお店のおハイソな雰囲気で、すっかりおごりたかぶっていた私は、ミコちゃんの「無理よ」という忠告も聞かず、マネキンへ突進していく。

「この素敵なスーツをちょっと見せてくださらない」とお金持ちのマダムを装う私。

「まあ、お客さま、お目が高い。これはオートクチュールコレクションのものなんですよ」店員さんは言った。

「あら、そう。それでいかほど」

「一千万です」

私はひっくり返りそうになった。そんな値段のスーツがこの世の中にあるなんて。


大人の女性というのは、自分の言ったことのオトシマエに、お金を遣わなきゃならないことがある。もう進退窮まった私は、三十七万のカーディガンを買わなくてはならないかと覚悟を決める。 

「じゃ、この上のサイズを」私はピンクのカーディガンを指さした。

「はい、少々お待ちください」

このとき、奇跡が起こった。

「お客さま、そのサイズは先ほど、別の方がお買い上げを…」

先ほどのお客の方、本当にありがとうございます。私の心が激しく叫ぶ。こんな風にして私の春の日は過ぎていった。




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