大足伝説

ものすごく親切でしかもファッション通という友人が言う。

「恵美子さん、とにかくブーツを買いなさい。ブーツを買うと今年が見えてくるわよ」

けれども彼女は、これが私にとってどれほどの難題か知らなかったようだ。私はブーツが履けない。なぜなら大足のうえに、かかとのところの骨が異様に出っぱっているからだ。


時々であるが「恵美子さんって、脚が細いですね」と誉めてくれる人がいるが、これってまさに目の錯覚、比較の問題である。足があまりにも大きいために、脚が細く見えるのだ。情けない話である。私は思う。胸と同じように、足も大きい方がカッコいい、という風潮が出てきてくれないだろうか。


つらい記憶が蘇る。春のこと、モード系のスーツといういでたち。こうなったらやっぱりブーツだわと、後ろにファスナーがついているショートの黒を選んだ。タクシーが来たのでそのまま乗る。車の中でゆっくりファスナーを上げようと思ったのだ。それなのに、ファスナーがかかとのところからびくりとも動かないのである。


私は焦り出した。ブーツを脱いでファスナーを上下させ、なじませたところで足を入れる。そしていっきに上げる。これでOKのはずであった。見よ、左側はすんなりと上がった。しかし右側はびくりともしないのだ。

私は座席で大きく足を組んだ。そしてブーツの後ろを一生懸命ぴっぱり上げる。私のその姿はすさまじいものがあったらしく、運転手さんが心配して「お客さん、大丈夫ですか」と聞いてきたぐらいである。


そしてどうしたかというと、私はファスナーの上がらないブーツのまま、ホテルのフロントを横歩きで横切り、会談をしたのである。

誰も気づかないと思ったが、そんなはずはなく、同席していた女性が「恵美子さん、ブーツのファスナーちゃんと上げないと歩きづらいですよ」と注意してくれた。

私ももちろんそう思うが、上がらないものは仕方ない。帰りの車の中でも挑戦したが、やはり動かなかった。


「履いているうちに、革が伸びてきますから」という店員さんの言葉にのったのであるが、これに何度裏切られたことであろうか。もはや私の人生の中で、ブーツというものは存在しないのであろうか。世の中には諦めなくてはいけないものがある。それが私にとってはブーツなのであろうか。

とはいうものの、今年のファッションは白ブーツがなくては始まらない。ひと頃、残暑が続いたけれども、おしゃれな友人たちは、早々と白ブーツを履いていた。


おしゃれと言われたい私はもう一度挑戦しようと思いたった。そんなわけで、私が向かったのは、最先端のものを取りそろえているセレクトショップ。どうせ無理ならば、目標は高くしたいものね。

「なにかお試しでしょうか」

あれこれと言ったら、私のサイズを持ってきたくれた。小さめに言ったらこちらのプライドを配慮してくれて「よろしかったら、もうワンサイズ大きいものもご用意致しましょうか」と言ってくれる。

この心配りが嬉しいではないか。私はこの感じよい店員さんだったら、自分の恥部をさらしてもいいと思った。


「あの、白ブーツが欲しいんですけど」

「はい、かしこまりました」

そして差し出されるブーツ。流行の細みのもの。ブーツを試すときの緊張感って、パンプスの十倍以上だ。私の場合、大足を深い靴底に沈めること自体が恐怖なのである。

案の定、一足めは、お話にならない。シンデレラのお姉さんみたいに、爪先がちょっとひっかかっただけ。私はもう諦めようと思ったのであるが、店員さんは諦めなかった。ネバーギブアップの精神で辛抱強く、大きなブーツの箱を運び続けてくれたのである。


「こちらでしたら、革がやわらかいので大丈夫だと思います」

足を靴底に滑らせる。が、難関が。かかとの骨の出っぱりのところでファスナーがひっかかった。が、力を入れる。お、お、ブーツが大足の私を包んでくれる。この感激!

が、この感激は右側には起こらなかった。ファスナーがストライキを起こす。店員さんも必死、私も必死だ。


「私が足を押さえてるから、お願いします」

「はい!痛くないですか!いきますよ。はい!」

私の場合、ブーツのお試しは店員さんとの共同作業なのだ。それは戦いの戦利品として、今ここにある。

そう、そう、私はこの靴を買う時、八センチヒールのパンプスも購入している。ポインテッドトゥのこの靴の痛いことといったらない。いったいどういう風に歩くつもりだったのか。わが心ながら謎である。



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