お直し事情とオンナ模様

つい最近、美しいことで有名なある女の人と一緒にお酒を飲んだ。そのとき、本当に驚いた。彼女は自分の恋愛のことをぺらぺら喋るのだ。モテエピソードもいっぱい。私の今まで経験だと、美人はこんな風に自分のことを打ち明けない。こんなに自分の過去を話さない。


「なんかヘンだ。どうしてだろう」私はずっと考え続けた。

主人公となるべき女性が、あんなおしゃべりだとは。私の論理がまるっきり崩れてしまうではないか。女を長年やっていてわかったことがある。自分の恋愛に異様に興奮したり、張り切って言いふらす女性とは、絶対に“ヒロイン”の方の女性になれないのである。


「ねえ、私の彼って」などと喋る女性に、男性は恋をもちかけるものであろうか。恋というものは、言うまでもなく秘密を共有することである。こんな女性と付き合った日には、すぐさまいろんなことをバラされると警戒するはずだ。

が、同席していた私の友人はあっさり解明してくれた。

「恵美子さん、知らなかったの。あの人の整形は有名よ」

そういうことか。


そんな話をしているとき、誰かが言う「いいなあ。あんなにキレイになれるんなら、私もやろうかしら」

この素直な言葉は、深く私の心をえぐった。そして私はこう言ったのだ。

「今思うと、私も若い頃にばっちり大改造しておけばよかった。そうしたらあでやかな女道を歩んでいたはずだわ」

「そんなの、やめてよかったわよ」

わが友、いいとこあるじゃない。その後に続く「そのままの恵美子さんで充分よ」という言葉を私は予想していたのである。

が、彼女ははっきりとした口調で「あなたの若い頃だと、整形の技術もまだまだだったから、今、悲惨なことになってたと思うわ」

この意見は全く正しい。


美容整形にまつわるイリュージョンは、まだいくつかある。

このあいだあるパーティーで、セレブご夫妻とテーブルが一緒になった。大きなジュエリーをいっぱいつけた奥さまの、その美貌がご主人は自慢の種だったようだ。うれしくてたまらない、という感じ。確かに若い。不自然なくらいぱっちりとした目は上に上がっている。なんか厚い唇と顔が妙に脂ぎってててらてらしているのだ。いろいろ手を加えた顔である。


かねてから知っている私は、ああいうときってどうしたらいいのだろうか。

「おキレイになりましたね」だとおかしい。見て見ないふりするのも失礼。いっそ気さくに「どこのクリニックですか」なんてのもダメか。あれこれ考える私である。


女性というのは、近くで見て息苦しくなるほど、整形している女の人のことを男性が気づいてくれないと、面白くないものである。女性からみてはっきりわかる、あの人、この人、それなのに男の人たちはどうして「美人だ」「キレイだ」と誉めちぎるのであろうか。どうしてそんなに単純にだまされるんだろうか。


私の男友だちはいつも力説する「女性はキレイじゃなきゃダメなんだ。だから整形だってどんどんするべきなんだよ」

そう、だからお直し済みの女性も気にならない、ほとんど問題にしていない。過去なんてどれほどのことであろう。今、美しい人が勝利者なのだ。


この頃、こういう風なアメリカ式の整形美女が増えたなあと感慨にふける私。ニューヨークやロスの、富裕層が集まる店に行くと、ファッションにも顔にもうんとお金をかけた女性を見ることができる。私はああいう迫力ある“強い美”がわりと好きだ。

年をとることにノーと宣言し、戦いを挑んだのである。その戦士としての生き方が顔に表れている。一生懸命やっているんだろうなあ。そうよね、オンナだもんねといった同志愛さえわく。


私の知り合いに華やかな美貌で人気の方がいる。垂れ目ぎみでかなり皺があるが、あれがふつうの六十代の女性の顔であろう。無理なことをせず、自然にまかせているといった風に見える、“穏やかな美”だ。それが多くの女性に驚きを与えたようだ。

「皺があったって、法令線があったって美人は美人なのよね」

「皺が、弛みが、って騒ぐ自分が愚かに見えたわ」

と友人は言う。が、大切なことを見逃している。彼女がなぜカッコよく、女性たちを魅了したかをだ。それは顔をお直ししていない正直さゆえではない。それだけではただのオバさんだ。


彼女は抜群のスタイルを持ち、流行の服をセンス良く着こなし、高いヒールを履いている。そして艶々の髪はたっぷりとカールされている。これだけのものが揃ってこその美しさなのである。顔だけがピカピカして若くても、全体の印象が老けていれば、それだけでオバさんなのだ。顔をお直ししたら、ボディやファッションの細部にもかなり気をつかわなくてはならないだろう。よってみずみずしい魅力は放つ、おしゃれな大人の美女になるはずである。


今の若いコは整形はもう歯を直すようなもんだと聞いた。学生でもOLでも、それこそドンドン整形をするのである。もう整形は悪いことでも特殊なことでも何でもない。それどころか自分を昴め、完璧なキレイをつくった女性たちを心から賞賛していく。尊敬に値すべき人なのだ。が、こうして美しくなった女のコも、次第に年をとっていく。すると、今度はアンチエイジングのためにメスをいれる。このとき初めて、彼女たちは私たちと同じスタートラインに立つのではないだろうか。つまり美醜に関係なく、老いというものに立ち向かっていかなくてはならないからだ。


私は整形手術をそれほど否定しないが、メスをいれたくない。それはどんどんエスカレートする自分の性格を知っているからである。であるからして私は、私なりにいろいろな悪あがきをしている。マッサージにエクササイズ、リッチな化粧品とたえず新しい美容法にチャレンジしているのだ。が、冷静に考えれば「勘違いのふつうのオバさん」というのは、若い人が見た正直な感想であろう。


顔を洗っているときにふと鏡を見ると、うつむいた私は頬も顎も完全にぼやけていて、中年というよりも初老である。こういうとき私は「美女をめざすなら、近い将来やっぱり何かした方がいいのかしら」と千々に思いが乱れる。いじいじいじ。

“強い美”の誘惑と、“穏やかな美”の歯痒さの間で揺れ続ける女性のことが、男性はきっとわからないに違いない。




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