美女か、美女以外か

「ブスはうつるけど美人もうつる。だからできるだけ美人といるように」と言ったのは超高級クラブのママである。素直な私はママの教えを守り、美人の友人ばかりといるようにした。


けれどもこれは結構つらいことであった。なぜなら美人と呼ばれる人は、美しいものをこよなく愛する人種だからである。野暮ったいものを見ると、とてもイヤな気分になるようだ。会うときは着るものにものすごく気合いが入る。女友だちと会うというと、もちろんカジュアルなのであるが、ちょっとおしゃれで今年の味つけがしてなくては困る。


感度の高い美女のひとりは、私のバッグが我慢ならないと言い出した。私は仕事で使う資料を入れる、大きめのトートバッグを持ち歩いている。黒のちょっぴりくたびれたナイロンのものだ。

先日二人で買い物に行ったとき、彼女はノスタルジックなレース柄のバッグを私の前に置いた。

「今日からこれに替えてちょうだいね」

新しいバッグに仕事道具を入れる。各方面からみんなに誉められた。もちろんバッグをだ。


このあいだは友人の誕生パーティがあった。ホテルで行われた盛大なパーティで「素敵な男の人がいっぱい来るから、うんとおしゃれをしてきてね」と友人から連絡が入った。

私は輝くような美貌のRちゃんと一緒に行くことにした。


ママはさらにアドバイスしてくれる「美人とつき合って二つ三つ、なんかポイントを盗んだら、後はさっと引き揚げてくるのが聡明よ」

だけどこのパーティにはAさんも出席する。彼こそ私の中の「抱かれたい男」「国宝級イケメン」同時ナンバー1受賞者なのである。


私はあきらかに興奮しながらホテルに向う。ホテルの指定された会場には、人がまばらであった。

「まだ時間が早かったのかしら」とRちゃんに話かけたとたん、Aさんが姿を現わした。アカデミック、頭がいい、外見も素敵といいイメージばっかりである。どうやらこのごろの神さまというのは、一人に二物も三物も与えるらしい。グラスを見つめるAさんはクールで魅惑的だった。ルビンの壺のようなたんせいな横顔というのは本当にあるのだと私は頭の中がじんとする。

「イケメンね。あんな人が本当にいるんですね」傍にいたRちゃんが、感動のため息をもらした。


パーティは女性もちらほらいたが、ほとんどが仕事関係者の男性ばっかりだ。よって競争率はぐっと低くなる(何のだ?)。私みたいなミーハーは少ないらしく、Aさんはわりと所在なさげに会場の真ん中に立っているのだ。


こんな贅沢なことがあるだろうか。そのあたりはものすごく空いているのだ。けれども隙々ゆえに、かえって近寄っていくのはむずかしい空間となっている。が、こういうことには、知恵が働く私だ。結構知り合いがいたので、あの人に近づき、この人に挨拶しながら、じりじりとAさんに近寄っていったのである。あと三メートル、あと二メートル。ついにAさんの前に立った私。


「こんにちは」私は微笑んだ。

「こんにちは」とAさん。

が、目はあきらかにとまどっている。この図々しい女の人は誰だろうという目である。でも、これでひるむような私ではなかった。えーと頑張らなきゃ。何か共通点といおうか、手がかりをつくらなきゃ。

「ほら、Bさん知ってますよね。私、彼と仲良しなんです」私は再びにっこり笑ったけど、何のききめもなかったわ。

「Bさん?」と彼はけげんそうな顔をするじゃないの。


Rちゃんは私に言ったものだ「私はずっと前から、Cさんの大ファンだったので、今日のパーティ、嬉しくてたまらないんですよ」

Cさんというのは、某有名男性である。今二人は、交際しているそうだ。私はそのときのRちゃんを思い出すたびに、ふーむとうなる。


「あなたにとっても興味をもっていて、一度お会いしたかったんです」とまっすぐに伝えられる女性は、大層カッコいい。それは美しさによる自信もあるだろうけれども、やはり本人の性格によるものが大きいだろう。ある程度以上の年齢になってから、他人へのアプローチをさわやかにやってのけられる人というのは貴重だ。Cさんが、いっぺんにRちゃんに惹かれたのもわかるような気がする。


「昔から大ファンだったんです。おめにかかれて本当にうれしくてたまらない」という言葉をCさんに吐く人は多かったろうが、たいていいろいろ過剰気味の女性であったろう。

しかしRちゃんは率直で清涼な魅力を放つ女性なのだ。ヘタに気を遣ったり、余計な演出をしたりしない。そのとき思ったことをさらりと口にする。相手の男性がどう思おうとへっちゃらだ。自信があるから媚びる必要もない。美しい女性というのはとてもストレートなのである。


私は今ははっきりとこう言う。美人というのはたいてい屈託がない。はつらつとしている。何をしてもサマになってカッコいいのだ。

たとえば外国人の男の人たちを交えてお食事をしたときの話である。

私の友人の美女は、冬でもノースリーブの素敵なドレスを着ている。ジャケットを着て体型を隠そうとする私とは対照的だ。そしてちょっと酔っぱらってだんだんと可愛くなる。

「こんな大きさなのよ」とか言って、手を丸くして大きく上げる。腋の下が丸見えになるけど、もちろんキレイになっていてその姿はドキッとするぐらい色っぽい。


男の人たちの視線はすべて彼女に集まる。そして別れぎわに「キスして」という風に、彼女はほっぺたを男の人の方に向ける。外国人たちはもちろん大喜びで彼女の頬にキスする。握手もやっとの私とは全然違う。私なんか所詮頑張ってもこのレベルなのねと、肩を落としたばかりなのだ。


ママは最近こんなことを言う「あなたみたいなトラウマの強い人は、やっぱり美人とつき合わない方がいいんじゃないかしら」

ここで捨て鉢になるところであるが、私はとことん美の追求に励んだ。全力を尽くした。壁には「美人の行動」なる表を貼っておいて、心に刻む徹底ぶり。こういう「意地を張る」という行為は、私の場合、どうということのない場合のみ発せられるから不思議だ。


自分で言うのもなんだけど、このごろの私は確かに変わったと思う。もちろん勘違いというものであるが、ごく少量だが美人の菌が私にも付着したような気がするの。これからは頑張ってこの菌を培養させなきゃね。私はそのためにも恋という栄養はとても必要だと思う。そうよ、そうよ、美人によって付着した菌は、男性の視線によってどんどん繁殖していくのだ。




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